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式根島倶楽部

式根島倶楽部

式根島縄文時代

 お隣の神津島で、縄文時代に重宝された黒曜石がとれたことから、交易が盛んになった模様です。

 縄文時代と一言に言っても、その長さはやく一万年(長いなあ)。
 伊豆諸島に人の行き来が多くあったのは、縄文時代の前期後半から、中初頭にかけてだと言われています。

 黒潮を使って行き来していたらしいですが、
 すごいよな、と思わず海の向こうを眺めます。

 これを丸太をくりぬいた船で往復しようと思った縄文人って、
 すごいご先祖さんだなあ、などとしみじみ思ったりしますよ。




 紀元前4500年ごろ、式根島吹之江遺跡(ふきのえいせき)に最初の縄文人が居住した跡が確認されています。ここは現在ヘリポートになっていて、ヘリポートを作るときに銅鏡がわんさか出てきたところ、当時少年だったおじいたちは価値もわからず、めんこにして遊んでいたそうです(聞いた話ですがね!)。

 場所は式根島泊湾の近く。天気のよい日には富士山まで見渡せる場所であることから、儀礼が行われていたのではないかと考えられております。

 ここは現在、入ろうとすれば簡単に入れます。未だに土器のかけらが普通に転がっています。ただ、素人にはどれがかけらでどれが石ころかよくわからないのですけれどね。



 吹之江遺跡やや遅れて、新島の田原遺跡にも縄文人が暮らしていたあとがみられます。こっちは水があったので、稲作をしていたらしい、ということです。新島博物館から山奥に登ったところで、健康な人でないとちょっと大変かもしれませんし、案内人がいないとたどり着くことは難しいと思われます。管理人はすでに二回登っておりますが、蚊さえいなければ、水のわき出る、とても神秘的な森です。



 そうして紀元前3000年頃から、関東および関西方面から縄文人が盛んにやってくるようになります。

 紀元前2500年頃を境に、式根島への縄文人の渡来はほぼ終わりを告げ、中心は新島の田原遺跡に。


 紀元前1500年頃、田原遺跡と並んで浮渡根(とぶね)遺跡にも縄文人の来島が盛んになり、新島は盛えるんですな。

 紀元前400年頃、縄文文化は頂点を極め、浮渡根(とぶね)遺跡にその跡がみられるそうな。

 
 で、時代は弥生時代に。

  (式根島弥生時代編に続く・上の「式根島の遺跡」も似た記事です)





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